ゴキブリ大戦完結編②
ラストです。
これにて完結^^
ゴキ「……酷過ぎるオチだ」
ではまたいつか~
大崎幕府の行方
前回の続きです^^あのあと上杉家を攻撃、すぐに上杉家を配下に吸収しますw
上杉家を配下に加えたので近畿で大勢力をほこっている毛利家に攻撃を加えますw
今となってはこんな大軍も編成可能ですw
ついにここまで来た。
姫路城に到達~♪
そして現在の情勢。
徳川家は同盟(好きで同盟したんじゃないんだからねw)のため攻めれないので北ルートで毛利家を攻めていますwさてはて…上の画像の通り戦線がすごいことになっていますw
姫路城と二条御所に近畿への足がかりをつくったところ。これから近畿制圧に向かいますw
しかし北周りは補給に時間がかかって兵力が不足気味です;;
我が勢力の統率上位武将たち。
そして毛利家をほぼ駆逐。
もうすぐ徳川家との同盟も切れるので戦線がかなり広がってますwしかも東北から近畿へ兵員を輸送するにはざっと1年かかる。しかも輸送より進軍の方が速いw
しかもこのころになると島津家と衝突し始める…。
近畿を制圧。毛利家の拠点がまだ2つ残っているが対島津防波堤的な役目をはたしているので今は攻めないw
対島津の最前線。島津軍13マンに対して我が軍は2万…
もはや城をいくつか放棄しないと島津に対抗できなさそうだ。
その後徳川家を攻めようとしたが徳川家は巧みにも朝廷介入の停戦を仕掛けて来てなかなか攻めさせてくれないw(朝廷が介入してくると断れないw前に徳川と同盟してたのも朝廷介入で断れなかったためである)。
しかもやばいことに徳川家との関係があやふやになったことにより事実上近畿とのつながりが途絶えてしまうw簡単に言うと徳川軍の支城が邪魔で輸送隊が通れないw
しかも毛利の防波堤を破った島津家の攻撃で我が軍は後退を余儀なくされる。
さて、2回も停戦を仕掛けられた徳川家にやっと攻撃開始。大幅なタイムロスだw
徳川家はチート武将を大量に抱えており1か所攻めるだけではびくともしないので全方向から物量戦をしかける。
さて、ここまでくれば後は簡単。
そして徳川家を1年という短期間で殲滅w
このやろう散々時間稼ぎしやがってw
これで近畿への輸送が可能になった^^島津家の攻撃にもなんとか耐えた。
これから対島津戦。
大崎幕府誕生なり!歴史は変わったww
そして四国をやっと制圧。
しかし…島津軍強いw
1回目の四国上陸部隊は島津の反撃で壊滅wしかも武将数人が捕虜になったり討ち死にしたりと悲惨な戦いであった。
ちなみにこれまでの戦いでも島津の必殺攻撃である武将狙撃で数人討ち死にしていたりともう手強い…。
1回目の攻撃で攻城兵器部隊が退却する暇もなく壊滅させられたので再編にこれまた時間を要するはめになり……。
2回目の攻撃で四国に足がかりを得てそのまま速攻で制圧した。
そしてついに豊後水道を通り九州上陸!
府内館を攻撃中。
しかし、これからしばらくしてやばいことが起きるw
我らが大崎家の当主が病気になったーっ
病気になると能力が紫になり半減します。
うん
それだけじゃない。
だって。
病気になるってことは”寿命死”が近いことなのだーっ!!!
たのむあと1年生きてくれ!1年あれば天下統一なんとかできる!
九州に上陸した我が軍はすぐさま南下。北上部隊の編成も急ぐ。
よし、このぺーすなら…。
ワ・ガ・ヤ・ボ・ウ・コ・コ・デ・オ・ワ・ル・ト・ハ………
えっwちょっw
チーン。
大崎義隆61歳のときでした。
うっわぁぁぁーっw
後継ぎいないよーw
ハイ、ゲームオーバーですwちくしょうっ!子供のいない当主はこうなります。
今回の敗北の原因を分析…
1、南部家の兵力をどうにかするのに数年かかったこと。
2、初期は兵糧不足で進軍が遅かった。
まぁ、これは置いといてw
3、徳川家が朝廷介入の同盟を仕掛けてきた。
↑ おかげで補給の貧弱な北陸ルートで近畿に進出するはめに…。
4、徳川家が朝廷介入の停戦を2回仕掛けてきた。
↑ おかげで関東勢30万が足止めを食らい、北陸ルートも微妙に遮断され近畿勢はわずかな兵力で島津相手に防衛戦を張ることになったwそして後退するはめに…。
5、そもそも島津が強すぎた。
↑ 島津家は織田家に引けをとらない鉄砲集団でその火力の前にねじ伏せられたw島津武将特有の必殺技「捨奸(すてがまり)」によって我が軍の武将が殺され軍勢は崩壊☆。
結論、徳川家康は滅ぼされつつも見事に時間を稼ぎ大崎家の主力をを足止めした。結果島津軍は持ちこたえて大崎家は自滅した。
うわーん家康にやられたーっ!
次回はゴキブリ大戦の最終回です。
ではまた~